35年前も同じように1ヶ月くらいの予定で出掛けた。 東海道・山陽から九州内に20日ほど
滞在して山陰周りで帰ってきました。 その時の日記や簡単な走行記録、地図が出てきたので
現在との違いを書いてみました。 現在の車社会になる前の昭和41年10月頃の状況です。
1.国道でも舗装されていない部分が多く、また工事中も多かった
九州の幹線道路がこんな状況でした。
・3号線 (門司〜鹿児島の西回り):八代〜川内間の約90Kmが未舗装
・10号線(門司〜鹿児島の東回り):宮崎〜国分間の約70Kmが未舗装
従って幹線道路以外は言うまでもない程の状況で砂利道がほとんどでした。
工事中では待たされたり、迂回させられたり
・延岡から高千穂へ向う途中の工事中で待つこと40分
・10号線で橋の工事中では河原まで降りて渡ったことがある
・220号線の日南市付近で工事迂回
・鹿屋から佐多岬へ向う途中で道路崩壊で迂回
2.道路が悪いので車の腹を道路にぶつけること3回
・長崎の唐八景への往復で各1回 (この時はただぶつけただけで済んでいる)
・鹿屋から佐多岬へ向う途中の根占付近で1回 (この時は鹿児島トヨペットで軽修理)
3.昔は交通規制の厳しい県があった
・長崎県内では市内30Km/hの速度規制には参ったとのコメントを書いている
4.車の数が少ないのでガソリンスタンドも少なかった
ガソリンを入れるタイミングを失した時にかなりの心配をしている。
(北海道ではスタンドの間隔(町の間隔)があるので今でも危ないが)
5.今では無料で走れる道路が有料だった所がある
・やまなみハイウェイ : 料金所が水分峠、長者原、瀬の本高原にあった
・雲仙付近の57号線: 小浜〜島原間が有料
・西海橋
6.旅館やホテルも少なかったし料金も安かった
・数が少ないために探すのに苦労している、JTBや駅の案内所を良く使っている
・料金は高級ホテル・旅館でも1泊3500円位で旅館は部屋食、最低は1泊1500円だった
(昔の方がランク間の価格差が少ない、今の高級ホテル・旅館は随分高くなっています)
(帰りに天橋立で天皇陛下がお泊まりになったという旅館でも3000円で泊まれた)
以上が九州内での話だが、帰りの山陰9号線の工事中個所では山を削ったばかりの所で
ブルドーザーでならしただけの厚い砂利の上を通らされたこともあった。
(車輪がもぐってしまったら助けてくれることでしょう)
昔と今で道路を走って最も違うのは追い越しでしょうか、昔は追い越した場合は先の方へ
進めたが、今は追い越してもほとんどメリットがないことですね。
北海道でも信号のないよほどすいているところでないと信号待ちで追いついてしまいます。
追い越し禁止区間が多くなり遅い車に引っかかると平均的な走り方との差がなくなります。
( 終 り ) |